「阿蘭陀通詞稲部市五郎について」イサベル・田中・ファンダーレン

◆長崎市長崎学研究所紀要・長崎学第3号がでた。。鈴木康子さんは「一八世紀後期~一九世紀初期の長崎と勘定所」論考において、長崎派遣勘定所役人一覧表をじつに精密に作成している。この表だけでも相当な労力がかかったのだろうと推察する。 ◆長崎の幕末維新150年における横山伊徳さんや藤田覚さんらのコメントも面白かったが、新資料稲部市五郎についての、イサベル・田中・ファンダーレンさんの「阿蘭陀通詞稲部市五郎について」が、シーボルトに信頼された市五郎がシーボルト事件で処罰をうけた経緯を詳細に追求している。 ◆この論考は、横山伊徳さんの「出島下層労働力研究序説」(『オランダ商館長の見た日本ーティツング往復書簡集』、吉川弘文館、2005年)に基づき、従来、稽古通詞などの役割が紹介されてきたが、内通詞の商館員らとの交流にはたした役割が存外大きかったこと、稲部家の人々の経歴についてなど、いくつもの新しい知見を含んでいる。伊東玄朴についても新たな知見がいくつもあり、玄朴妻の兄猪俣源三郎から預かった日本地図を出島のシーボルトに渡したのは稲部市五郎であったこと、猪俣源三郎は、文政9年にシーボルトとともに江戸に出たとされていたが、父猪俣伝次衛門が沼津で亡くなったときは、じつは長崎にいたことなどを明らかにしている。オランダ商館長日記などからの実証がある研究のため、とても説得力のある論考となっている。