小倉藩の種痘(1)

◆今、科研費の論文を一つまとめている。今まであまり知られていなかった小倉藩の種痘についてである。先行論文として井上忠「種痘法の伝搬過程ー科学文化史のひとこま」(西南学院大学論集、1957.3、pp45~66)と、同「北九州における幕末の種痘法」(『九州史研究』お茶の水書房、1968、pp355~373)がある。両論文に導かれつつ、北九州市立博物館所蔵の膨大な量の大庄屋中村平左衛門日記と格闘しつつ、まとめているが、今日一日かかって、古文書5枚分を読み終えたところ。
◆遅々としてすすまないが、今までに知られていなかった新しい情報がいくつも得られて、はやく皆さんに本にして紹介したいと考えている。
◆その新知見の一つが、嘉永7年6月20日の、庄屋による種痘のしかたの取り決めである。この時期の小倉藩領では、郡方役所からの指示により、大庄屋のもとで庄屋があつまり、種痘のしかたについて取り決めが行われるようになっていた。その取り決めは以下のとおり。
一、最初種取ニ明日津田村へ上・中・下三曾根ゟ津田・田原両弐人ツ丶小児連参り、夫ゟ八日目程二其村々ニ而種方いたし、夫ゟ又々外村へ種可申候
一、種候而八日目程ニ種子ニ相成候間、其日ニハ、八日目前ニ種の小児悉召連参候様
一、医者ハ其日々々を前日迄ニ庄屋元ニ相知セ候様
一、種候而種子を取り候迄の間、両三度ツヽ其家〳〵ニ医師一人廻り被参候様
一、種所を巻候花染花染たすきニ致し、花染ハ役前より遣可申、庄屋〳〵ゟ相求候様
一、見廻の品取遣り湯掛り等の祝ひ、不致候様
一、種痘中養生方并食禁等医者中ゟ之書付、役宅へはり出し置、一々委く申聞せ候様
◆最初の種取は津田村で行うので、津田村と田原村より二人ツヽの小児を連れていくこと。
接種後から八日目程で、それぞれの村々で種え、それから他の村に接種すること。接種してから八日目あたりで次の種子になるので、八日目前ニ、接種すべき小児を悉く召し連れること。種痘医はその日々を前日までに該当する村の庄屋へ知らせておくこと。種子を採るため、医師がその家々を三度まわるようになること。種えた箇所は花染めたすきで保護すること、医師の見廻りのときの御礼の品や快湯祝などはしないこと。種痘中の養生のしかたや食禁のことなど医者からの書き付けを庄屋の役宅に貼り付けておき、くわしく説明すること、などの内容を取り決めた。
◆随分、組織的な種痘活動が庄屋など村役人の主導で行われていたことに驚かれると思う。従来、知られていた大坂の緒方洪庵など都会における種痘活動とまったく異なる農村での種痘普及活動を知ることができる。