科研費C「我が国種痘伝播と地域医療の近代化に関する史料集成を軸とする基礎的研究」研究代表青木歳幸(佐賀大学地域学歴史文化研究センター特命教授)
本研究は、牛痘種法(種痘)の我が国諸地域への伝播と地域医療の近代化の解明を目的とし、収集した種痘資料は、資料集刊行およびHP等で情報公開し、史料の共有をはかる。ジェンナーの発明した牛痘種法は,1849年に長崎に伝播し、数年のうちに全国各地に伝播した。九州諸地域への種痘普及は、『天然痘との闘いー九州の種痘』(岩田書院、2018年6月、7200円プラス税)本研究に先行する科研費研究でかなり解明しえたが、全国的な地域展開の解明は不充分である。そのため、全国諸地域への種痘普及における①前提としての紅毛流医学や人痘法の普及、②在村医らの果たした役割、③公衆衛生の芽生えともいえる諸藩の医療政策としての展開、④地域の医療近代化・医学教育にどう影響したかなどを、地域別に解明し、医学史、科学史、文化史、近世史、近代史研究などに学術貢献する。
科研費c「九州地域の種痘伝播と地域医療の近代化に関する基礎的研究」(『略称:種痘伝来』)3年間の主な研究成果は、個々の研究発表・論考のほか、全体として、『天然痘との闘いー九州の種痘ー』(岩田書院、2018年5月)と、研究報告書・史料集『史料・九州の種痘』(「2018年3月)の刊行を予定し、すでに原稿をそれぞれ入稿し終えた。(2018年1月)
研究実績 三年間の種痘伝来科研において、多くの成果を得た。なかでも嘉永2年(1848)の牛痘の伝来日と牛痘接種日について、従来、諸説あって確定できていなかったが、本研究によって柴田方庵の記録より、伝来日が嘉永2年6月23日で、最初の牛痘接種日が6月26日であることが、日本側史料によって確定できたことが大きな業績である。さらに佐賀藩では同年8月から引痘方が設置され、安政5年(1858)に設立された好生館で全額藩費による組織的な種痘活動が行われたこと、萩藩では9月21日に佐賀藩から分苗されたこと、大村藩は、7月24日に痘苗を得て8月1日から藩主導で実施し、種痘苗保存確保のために「牛痘種子継料」を全村から徴収していたこと、中津藩では民間医辛島正庵らが長崎から痘苗を得て、種痘普及のために文久元年(1861)医学館を創設したこと、西屋形村の屋形養民は、中津の医学館から痘苗を得て村民への種痘を開始したこと、福岡藩領では郡医が早くに種痘活動を行い、武谷祐之は郡医から痘漿を分けてもらい、嘉永2年の末から種痘を始めたこと、小倉藩では安政5年(1858)に牛痘を牛に種えてリフレッシュさせる再帰牛痘法を安政5年(1858)段階で郡医らが試みていたこと、天草では、上津深江村字太田に種痘山という種痘実施施設を創始し、大村藩の古田山種痘所での種痘心得のある医正を招き、人痘法での接種を続けていたが牛痘伝来後は牛痘による接種に転換したこと、宮崎では、若山牧水の祖父若山健海が嘉永3年ころから実施したこと、薩摩では前田杏斎が嘉永2年に長崎から牛痘を得て実施、その門人の黒江絅介は高岡郷(現宮崎市)で嘉永3年に実施したこと、熊本藩では、高橋春圃と寺倉秋堤が長崎で牛痘を学び種痘を実施し、明治3年の熊本医学校が設立には、寺倉秋堤に種痘術を教えた吉雄圭斎が招かれ、種痘普及を契機とする地域医療の近代化が始まったことなど、新しい事実が判明した。この基盤研究において、九州諸藩における種痘普及により、洋式医学校の設立など地域医療の近代化をめぐる在村蘭方医の人的ネットワークが主要な役割を果たしていた実態が判明した。
今後の方策
今後は、これらの研究成果をもとに、九州・長崎から、全国諸地域の町や村段階へ種痘がどのように伝来したのか、地域医療の近代化がどのように進められたか、地域民衆や漢方医らの医療観がどのように変化したか、地域の行政にとって流行病に対する予防がどのように整備されていったかなどを、各地に伝来する種痘史料の発掘と研究調査を通じて、詳細に実証的に研究することが、今後の医学史研究にとって全国的な種痘研究を目指す。
(1)本研究の学術的背景、研究課題の核心をなす学術的「問い」
本研究は、青木歳幸を研究代表者として実施した基盤研究C「九州地域の種痘伝播と地域医療の近代化に関する基礎的研究」(27~29年度、以下、種痘伝来)で得た成果を発展させ、種痘の全国展開と、諸地域の医療的特色と地域医療の近代化を探求するもので、同時に地域的特色や種痘普及に意義のある種痘史料を収集し、刊行・公開し、研究に資する。
3年間の種痘伝来科研において、多くの成果を得た。なかでも嘉永2年(1849)に伝来した牛痘接種は、佐賀藩では8月から引痘方が設置され、安政5年(1858)に設立された好生館で全額藩費による組織的な種痘活動が行われたこと、萩藩では9月21日に佐賀藩から分苗されたこと、大村藩は、7月24日に痘苗を得て8月1日から藩主導で実施し、種痘苗保存確保のために「牛痘種子継料」を全村から徴収していたこと、中津藩では民間医辛島正庵らが長崎から痘苗を得て、種痘普及のために文久元年(1861)医学館を創設したこと、西屋形村の屋形養民は、中津の医学館から痘苗を得て村民への種痘を開始したこと、福岡藩領では郡医が早くに種痘活動を行い、武谷祐之は郡医から痘漿を分けてもらい、嘉永2年の末から種痘を始めたこと、小倉藩では安政5年(1858)に牛痘を牛に種えてリフレッシュさせる再帰牛痘法を安政5年(1858)段階で郡医らが試みていたこと、宮崎では、若山牧水の祖父若山健海が嘉永3年ころから実施したこと、薩摩では前田杏斎が嘉永2年に長崎から牛痘を得て実施、その門人の黒江絅介は高岡郷(現宮崎市)で嘉永3年に実施したこと、熊本藩では、高橋春圃と寺倉秋堤が長崎で牛痘を学び種痘を実施し、明治3年の熊本医学校が設立には、寺倉秋堤に種痘術を教えた吉雄圭斎が招かれ、種痘普及を契機とする地域医療の近代化が始まったことなど、新しい事実が判明した。この基盤研究において、九州諸藩における種痘普及により、洋式医学校の設立など地域医療の近代化をめぐる在村蘭方医の人的ネットワークが主要な役割を果たしていた実態が判明した。
が、以下の学界状況に述べるように、全国的な諸地域での研究は不十分である。そのため①前提としての紅毛流医学や人痘法の普及、②在村蘭方医らの果たした役割、③公衆衛生の芽生えともいえる諸藩の医療政策としての展開、④種痘普及が地域の医療近代化・医学教育にどう影響したかなどの研究視点をもっての、基礎的・拠点的な種痘史料収集と調査研究が不可欠であると、本研究を着想した。
本研究の国内・国外の研究動向及び位置づけを述べる。歴史上、最も怖れられた感染症は天然痘であり、その予防法としての種痘研究は、善那氏種痘発明百年紀年会『法発明者善那氏頌徳之記 : 附・日本種痘の沿革』(善那氏種痘発明百年紀念会,1896)をはじめ、富士川游『日本医学史・決定版』(日新書院,1941)、古賀十二郎『西洋医術伝来史』(日新書院,1942)、内藤記念くすり博物館編『天然痘ゼロへの道』(エーザイ株式会社、1983)、添川正夫『日本痘苗史序説』(近代出版,1987年)、深瀬泰旦『天然痘根絶史』(思文閣出版、2002)などが、我が国への主な伝播経路と長崎伝来後の主な伝播経路を論じている。
国際的視点での種痘研究は、小田泰子『種痘法にみる医の倫理』(東北大学出版会、1999)、田崎哲郎「アジアにおける種痘」(『牛痘種痘法の普及』、岩田書院、2012)が、アジア的視点での種痘研究を行った。しかし、これらの研究では、いずれも我が国への牛痘の長崎到着日と、楢林宗建子建三郎への接種日について不確定であった。
アン・ジャネッタ『種痘伝来』(岩波書店、2013)が、オランダ商館長日記やモーニッケの記録などから、長崎への伝来日を西暦1849年8月11日(嘉永2年6月23日)、宗建子らへの接種を8月14日(嘉永2年6月26日)と特定し、特筆される成果をあげた。が、アン・ジャネットにおいても国内への伝播については、『洋学史事典』(1984)や『天然痘ゼロへの道』(1983)など、30年以上前の研究に依拠していたため、その後の国内での研究成果が読み込まれておらず誤りも多い。最新の種痘関係書の一つである山内一也『近代医学の先駆者』(岩波書店、2015)では、アン・ジャネッタの研究を踏まえ、伝来日と種痘接種日は正確であるが、たとえば長崎から佐賀藩への痘苗伝来者を旧説の大石良英のままとするなど、国内伝播についての研究に誤りがあり、旧説以上には踏み込んでおらず研究の進展がない。
なぜそうなのかと考えると、一つには、村や町において種痘に関わった無数の在村蘭方医の研究成果が生かされていないからである。在村蘭方医らによる村民らへの種痘普及活動は、田崎哲郎『在村の蘭学』(名著出版、1985)や青木歳幸『在村蘭学の研究』(思文閣出版、1998)、青木歳幸・岩淵令治編『地域蘭学の総合的研究』(『国立歴史民俗博物館研究報告』第116集、2004)などの在村蘭学研究として進展している。
さらに、2004年時点で、九州では佐賀藩と薩摩藩には在村蘭学がないとされていた。が、代表者青木歳幸が「佐賀藩蘭学再考」(『研究紀要』1号、佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2007)で、佐賀藩領における広汎な在村蘭方医の存在を指摘し、『佐賀医人伝』(佐賀新聞社、2017年)で、100人近くの在村蘭方医が種痘にも関わり、地域医療の近代化に尽力したことを明らかにした。また本研究のもとになった申請者を代表者とする種痘伝来科研において、薩摩藩でも藩医前田杏斎の門人黒江黒江絅介ら在村蘭方医の種痘活動を一部であるが、明らかにしえた。
以上の学術的背景をふまえて、医学史研究、とりわけ種痘研究及び在村蘭学研究を発展させるためにどうすればよいかの学術的な問いとして、九州・長崎から、全国諸地域の町や村段階へ種痘がどのように伝来したのか、各地に伝来する種痘史料の発掘と研究調査が必要であること、種痘の普及を軸として、詳細に実証的に研究することが、今後の医学史研究にとって必須の答えになると考え、本研究を申請した。
(2)本研究の目的および学術的独自性と創造性、
1)学術的特色・独創的な点の第一は、全国諸地域の在村蘭学研究に着目したことである。
第一は、佐賀藩、長州藩、福井藩などの種痘の地域普及システムが、全国各地にどのように展開し、あるいは展開しなかったかの解明に着目したことである。防疫システムなどなかった我が国において、種痘普及のため、藩と医師らが地域独自にどのようなシステムを構築したのか、その実態解明は、我が国地域医療システムづくりの原型を示す意義がある。第三は、種痘の普及により、庶民及び漢方医らの医療観の変化がどのように生まれ、医学校の成立など地域医療の近代化にどのようにつながったかを解明することである。第四は、種痘の全国的普及の解明のために、地域的特色のある種痘史料の翻刻・公開を企図したことである。
諸藩の医学校の成立事情、教師の学統、教育課程などの解明により、近世医学教育研究が進展する。その第三は、医学稽古という独特の医師養成形態に着目したことである。おそらく
(3)本研究で何をどのように、どこまで明らかにしようとするのか。
本研究の研究者とその役割分担から説明する。5年間の研究期間に研究代表者は、1)全国各地の種痘実施状況を拠点的に調査し、種痘実施の地域的特色と実態解明をすすめる。2)各地の藩領・幕領の地域的・内容的に特色ある種痘史料を収集し、資料の整理、ホームページへの公開を行う。3)種痘を通じて医師のネットワーク、医学教育への影響、地域医療の近代化の影響をさぐる。
研究協力者W.ミヒェル(研医会)は、医学校形成などの医学教育との関連、紅毛流医学史料調査をする。大島明秀(熊本県立大学)は、東西文化交流史料や、熊本藩領における種痘史料・熊本洋学校史料を調査する。海原亮(住友史料館)は、米沢、福井、近畿の種痘史料の収集と医学教育史料を調査する。松村紀明(帝京平成大学)は、岡山県及び中国地方の種痘史料、地域医療史料を調査する。胡光(愛媛大学)は、紅毛流医学史料や四国の種痘史料調査をする。ほかに、各地域の文書館員、博物館学芸員の研究協力を得て、以下の重点調査を実施し、2年目以降、順次、史料集を毎年刊行する。
科研費c「九州地域の種痘伝播と地域医療の近代化に関する基礎的研究」(『略称:種痘伝来』)
本研究は、九州諸地域の牛痘種法(種痘)の伝播と地域医療の近代化の解明を目的とし、収集
した種痘資料を随時ホームページで公開し研究の一層の進展に資する。18 世紀末にジェンナーが
発明した牛痘種法は,約50 年後の嘉永2 年(1849)長崎で活着し、数年のうちに我が国各地に伝
播し、庶民の西洋医学への認識に強い影響を及ぼした。我が国での主たる伝播経路は解明された
が、九州各地域への種痘普及の実態およびその医学的・社会的影響の究明は不十分である。そこ
で種痘普及に関し、①前提としての紅毛流医学や人痘法の普及、②在村医らの果たした役割、③
公衆衛生の芽生えともいえる諸藩の医療政策としての展開、④地域の医療近代化・医学教育にど
う影響したかなどを解明し、医学史、科学史、文化史、近世史、近代史研究などに学術貢献する
研究会活動
種痘科研関係者各位
29年度第2回種痘科研打ち合わせ会のお知らせ
研究代表者青木歳幸
下記により、第二回打合会を開催しますので、お集まりください。
日時:11月5日(日)
場所:電気通信大学東3号館301号室
時間:17:15~19:15(洋学史学会ミニ・シンポ終了後)
議題:1.科研費報告書史料集の準備状況
2.30年度科研申請について
平成27~29年度科学研究費補助金(研究種目 基盤研究(C) )研究課題番号:15K02867
「九州地域の種痘伝播と地域医療の近代化に関する基礎的研究」
研究代表者(所属機関・部局・職・氏名)
佐賀大学地域学歴史文化研究センター・特命教授・青木歳幸
29年度第1回研究会開催要項
下記により科研費「九州地域の種痘伝播と地域医療の近代化に関する基礎的研究」(略称:種痘伝来)29年度第1回研究会を開催しますので、長丁場な日程ですが、ぜひ、ご参集ください。
日程
8月4日(金)
10時から12時まで、九州大学耳鼻咽喉科学教室・久保記念館
医学歴史館、人体・病理ミュージアム見学
12時00分~ 昼食 医学部周辺
13時30分~ 29年度第1回研究会(Ⅰ部・於九州大学医学部附属図書館)
議題1.研究報告書・今後の日程について(青木)
2.研究報告
海原 亮「若山健海種痘資料と延岡の医療環境(仮題)」
山内勇輝「大村藩の種痘伝播と藩医 長与家(仮)」
大島明秀「寺倉秋堤の種痘伝習について」
相川忠臣「長崎の種痘について」
15時30分~16時50分まで、九州大学医学部図書館展示室見学
17時00分~研究会(Ⅱ部、於・九州大学医学部附属図書館)
ミヒェル・ヴォルフガング「中津の種痘」
青木歳幸「小倉藩領の種痘」ほか
19時00分~ 懇親会・食事
科研費c「九州地域の種痘伝播と地域医療の近代化に関する基礎的研究
本研究は、九州諸地域の牛痘種法(種痘)の伝播と地域医療の近代化の解明を目的とし、収集
した種痘資料を随時ホームページで公開し研究の一層の進展に資する。18 世紀末にジェンナーが
発明した牛痘種法は,約50 年後の嘉永2 年(1849)長崎で活着し、数年のうちに我が国各地に伝
播し、庶民の西洋医学への認識に強い影響を及ぼした。我が国での主たる伝播経路は解明された
が、九州各地域への種痘普及の実態およびその医学的・社会的影響の究明は不十分である。そこ
で種痘普及に関し、①前提としての紅毛流医学や人痘法の普及、②在村医らの果たした役割、③
公衆衛生の芽生えともいえる諸藩の医療政策としての展開、④地域の医療近代化・医学教育にど
う影響したかなどを解明し、医学史、科学史、文化史、近世史、近代史研究などに学術貢献する。
研究会活動の内容
3年間の研究期間に研究代表者青木歳幸は、1)佐賀藩医学史研究、とくに支藩領への種痘普及
の実態解明を行う。2)九州諸藩領(含幕領)の種痘史料を収集し、資料の整理、ホームページへ
の公開を行い、研究の基礎を充実させる。3)種痘を通じて医師のネットワーク、医学教育への影
響、地域医療の近代化の解明という九州での在村蘭学研究を行う。W.ミヒェルは、1)村上医家資
料館、大江医家史料館、歴史民俗資料館、福沢記念館、小幡記念図書館などの器物・文書史料をもと
に、中津藩領の種痘関係史料を収集し、医学校形成などの医学教育との関連を究明する。2)漢
方医の西洋医学情報の収集と医療実態を解明する(大江家、村上家、屋形家、田渕家、田原淳、小幡英之
助、藤野玄洋、田代基徳など)。研究分担者大島明秀は、近世・近代の熊本藩(地域)の種痘の実
態や熊本藩医学教育の漢方から洋学校への転換を明らかにする。研究協力者海原亮は全国との医療史
研究の比較をし、小川亜弥子は萩藩との比較研究をする。
3月に沖縄の種痘研究会を開催します。
種痘科研関係者各位
29年度第2回種痘科研打ち合わせ会のお知らせ
研究代表者青木歳幸
下記により、第二回打合会を開催しますので、お集まりください。
日時:11月5日(日)
場所:電気通信大学東3号館301号室
時間:17:15~19:15(洋学史学会ミニ・シンポ終了後)
議題:1.科研費報告書史料集の準備状況
2.30年度科研申請について
以下、洋学史学会関連事業の案内です。関連委員はこちらもご参加ください。
編集委員長 青木歳幸
洋学史研究事典編集委員会
日時:2017年11月5日(日)10:00~12:00
場所: 場所:電気通信大学東3号館301号室
議題 1.見本原稿検討
2.研究編項目、執筆者検討
3.地域編項目、執筆者検討
4.付録編検討
洋学史学会会長沓沢宣賢
各位
秋涼爽快の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。2017年度11月例会を、下記の通り開催いたします。
日時:11月5日(日)午後1:30~5:00
場所:電気通信大学(京王線調布駅) 東3号館 301教室
ミニ・シンポジウム 「近世長崎の人と学問-『長崎先民伝注解』によせて-」
13:30-13:35 趣旨説明:平岡隆二
13:35-14:20 川平敏文「長崎という磁場―唐通事盧草拙を中心に―」
14:20-15:00 吉田宰「西川如見の水土論と神道思想」
15:00-15:10 休憩
15:10-15:50 平岡隆二「長崎聖堂の学問と教育-向井元成、唐蘭御用、地役人教育-」
15:50-16:10 コメント:大島明秀
16:10-17:00 総合討論:司会・松方冬子
洋学史学会事務局 182-8585 東京都調布市調布ヶ丘1-5-1
電気通信大学電気通信学部 佐藤賢一研究室気付
E-mail:yogakushi@yogakushi.jpn.org Tel:042-443-559
研究成果を論考集と史料集として公刊予定です。
論考は『天然痘との闘いー九州の種痘』(岩田書院、2018年58月刊行予定)
論考は、九州の種痘(青木歳幸)、佐賀の疱瘡神(金子信二)、ヨーロッパ人が観た日本における天然痘(W・ミヒェル)、人痘法の普及(青木歳幸)◎牛痘伝来前史(青木歳幸)、佐賀藩の種痘(佐賀藩・鹿島藩・蓮池藩など)(青木歳幸)、多久領の種痘(青木歳幸・保利亜夏里)、中津藩における天然痘との闘い(W・ミヒェル)、熊本藩の治痘(大島明秀)、宮崎の種痘ー若山健海を中心に・(海原 亮)、薩摩の種痘(田村省三)、大村藩の種痘(・山内勇輝)、黒江家文書にみる種痘(今城正宏()長崎の種痘(相川正臣)小倉藩領の種痘(青木歳幸)、武谷祐之と福岡藩における牛痘の導入(W・ミヒェル)長州藩の医学館と種痘(小川亜弥子)